干場良光のブリコラ日記

アート全般に関する忘備録です。

平等とか

マームとジプシーの演劇スタイル、大友さん達のアジアンミーティングという演奏会。1枚の床に演者と観客が同時存在。指輪ホテルの演劇は時には観客は演技者になってしまう。これらはいずれも演者と観客という対立が避けられて展開する。3者のディレクターには演者と観客を区別しないで平等に扱うという精神が共有されている様に思われる。

平等というと平面、村上さんのスーパーフラットアンディ・ウォーホルのコンセプチュアルポップなどの作品のコンセプトを思い出す。

更に、アジアンミーティングの演奏の仕方や観客の関わり方を見ると、演者と観客も同じ床の上でそちこちに点在し、それぞれが関係しあったり断絶したりして、演奏は継続されている様だ。この構造は、インターネットの構造と似ている。お互いが3次元的あるいは4次元的に、まるで、立体的な網状構造の様に接続しあったり、断絶したり。しかもそのタイミングは偶然性によって支配されているように演じられている様だ。もはや、観客の中にも演じていることを意識してしまう人が出てきそうだ。コレクティブオーケストラでは、奏者と指揮者が交換可能で、奏者と指揮者は交換可能であることを示し、次々と交代して指揮を執っていた。3次元的、4次元的あるいは永遠に続くN次元的構造は細胞や宇宙の構造とも似ている様にも思う。大友さんは自然なる構造として、ネットの構造を意識して採用したのではないか。あともう一つ梅田さんと堀尾さんの作品に見る物に命が宿っている様に見える作品について次に考察する。