干場良光のブリコラ日記

アート全般に関する忘備録です。

強いフィクション


岡田利規 - YouTube

(3月11日に災害があって…)だからといって僕は演劇の無力さに絶望したわけではなかった。自分でも不思議なくらい、そんな気持ちは全然起こらなかった。はじめに述べたとおり、それとは真逆のことが僕には起こった。震災前に僕が抱いていた芸術(僕にとって問題となるのは演劇)の必要性に対する疑いは今、ほとんど完全に消え去っている。現在の僕にとって、芸術が社会に必要であること、演劇が社会に必要であることは、明白になった。

芸術は現実社会に対置される強い何かとなりえるものであり、そういった対置物が社会には必要なのだ。なぜならそうした対置物がなければ、人はこの現実だけがありえるべき唯一のものだと思う様に、その思考を方向付けられてしまうからだ。

現実社会に対置される強い何か。それはたぶん、フィクションと言い換えるのがふさわしい。僕はいつのまにか、フィクションという概念を通して演劇のことを考える様になっていた。これまでは、そんなふうに演劇を考えたことなんて無かった。それはひとつには、僕がフィクションというものに価値を見出していなかったからである。現実が「本当のこと」でフィクションは「嘘」で「つくりごと」である、というふうに理解していた。そして僕はただの「嘘」で「つくりごと」になんて、興味が無かった。でもそれは誤解だったと考えるようにになったのだ。現実とは「本当のこと」ではない。それは現時点においてはさしあたって最有力なフィクションである、というにすぎない。そしてフィクションとはただの「嘘」ではないし、「つくりごと」ではない。それは潜性的な現実なのだ。だから強いフィクションは、現実を脅かす。現実に取って代わる可能性を、常に突きつけているからだ。この現実はフィクションによって励まされる必要もあるが、僕はそれと同じくらいに、こんな現実はフィクションによっておびやかされなければいけない、というふうにも言いたい。

「遡行ー変形していくための演劇論  岡田利規著」